東京高等裁判所 昭和37年(ネ)693号 判決 1964年4月17日
控訴人(原審本訴被告反訴原告) 今泉健治郎こと今泉鍵治郎 外二名
被控訴人(原審本訴原告反訴被告) 和田已之吉
主文
本件控訴はいずれもこれを棄却する。
控訴人今泉鍵治郎が当審で新らたに申立てた反訴請求を棄却する。
控訴費用中被控訴人と控訴人今泉鍵治郎との間に生じた部分は本訴、反訴(前項の反訴を含む)を通じて全部同控訴人の負担とし、被控訴人と控訴人今泉まさ、同たから塗装工業有限会社との間に各生じた部分はそれぞれ同控訴人らの負担とする。
原判決中第一項の(一)については金一五万円、同項の(二)については金一〇万円、同項の(三)については金五万円の各担保を立てることを条件として同項の(四)については無担保で仮に執行することができる。
原判決主文第一項の(四)に「金二一五、六〇〇円」とあるを「金二一三、六〇〇円」と更正する。
事実
控訴人ら代理人は、「(一)原判決中控訴人ら敗訴の部分を取消す。(二)被控訴人の請求を棄却する。(三)被控訴人は控訴人今泉鍵治郎に対し同控訴人から金四〇万円の支払を受けるのと引換えに別紙物件目録第一に記載の土地につき昭和三四年三月二五日の売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。(四)訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求めたが、右(三)については、当審における最終の口頭弁論期日に、反訴請求の趣旨を訂正するとして「被控訴人は、控訴人今泉鍵治郎に対して別紙物件目録第一記載の土地につき長野地方法務局昭和二六年九月四日受付第五四三〇号を以つて為された同日の売買を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。」との判決を求める旨申立てた。被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めかつ、原判決中被控訴人勝訴の部分についての仮執行の宣言を求めたが、前記の反訴請求の趣旨訂正の申立については、訴の変更に該るから異議があると述べた。
当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出、援用認否は、左記のほか原判決事実摘示のとおりである(但し原判決書五枚目裏一二行目に「三九一、三二七円」とあるのは「三九一、二二七円」の誤記と認められるからこれを訂正し、同七枚目裏四行目の「(2) 」は誤つて記入されたものと認められるからこれを削除し、同別紙物件目録第一(土地)の(2) 「同所七五弐番ノ壱」は「同所七五弐番ノ壱壱」の誤記であることが明らかであるからこれを訂正する。なお、原判決事実摘示中「健治郎」とあるのはいずれも「鍵治郎」の誤記と認められるのでこれも訂正する。)からこれをこゝに引用する。
控訴人ら代理人は、
一、控訴人らは、被控訴人が本件土地を和田工業から譲受けた事実を否認する。原判決は控訴人らが恰も右事実を認めたかの如くに事実摘示しているが、これは誤りである。
二、控訴人鍵治郎の請求の趣旨訂正にかゝる反訴請求(所有権移転登記の抹消登記手続請求)の原因として、
控訴人鍵治郎は、昭和二六年五月四日和田工業に対する野沢観光ホテル衛生設備工事の請負代金三九万一、二二七円の債務の支払を担保するため、自己所有の本件土地の所有名義を和田工業に移転する旨約し、和田工業との間に乙第一号証(確約証)を作成した。乙第一号証による契約は、あくまでも債権担保を目的としたもので和田工業はこれによつて本件土地を他に処分する権限を与えられたものではなく、又控訴人鍵治郎において本件土地の買戻が可能となつたときはこれを買戻すことができる旨の不確定期限付きの再売買の予約が付せられたのである。乙第一号証による契約は前示の如き趣旨のものであるから控訴人鍵治郎は右契約を締結したことによつて本件土地の所有権を終局的に失つたものではない。のみならず控訴人鍵治郎は本件土地の所有名義を未だ和田工業に移転していないから本件土地は今なお控訴人鍵治郎の所有に属するというべきである。仮に前記契約により本件土地が一応和田工業の所有になつたとして、控訴人鍵治郎はその後旧債の整理も済み本件土地の買戻が可能となつたので昭和三八年三月六日和田工業に対し前示再売買予約完結の意思表示をしたのでこれに依つて本件土地の所有権は同控訴人に復帰した。然るに本件土地については前記の債権担保契約とは何のかゝわりのない、しかし以上の事実関係を熟知している被控訴人の所有名義で為された前示請求の趣旨掲記の如き登記が存在する。よつて控訴人鍵治郎は本件土地の所有権にもとずいて被控訴人に対し右登記の抹消登記手続を求める。なお、被控訴人は、和田工業から控訴人鍵治郎に対し前記再売買予約にもとずく買戻を為すべき旨催告したのに拘らず同控訴人はこれに応じなかつたので右再売買予約は失効したと主張するが、右再売買予約には前示の如き不確定期限が付せられていたのであるから右主張は失当である。
と、述べ、新らたな証拠として、当審における控訴人鍵郎本人尋問の結果を援用した。
被控訴代理人は、
一、控訴人らは、被控訴人が和田工業から本件土地の所有権を取得した事実を原審において自白したものであり、この点に関する原判決の事実摘示には何ら誤りがない。控訴人らが当審に至つて右自白を撤回することには異議がある。
二、控訴人鍵治郎の前記二の主張につき、
(一) 控訴人鍵治郎は、同控訴人から和田工業に対する本件土地所有名義の移転は債務の支払担保のために為されたものであると主張し、また、和田工業に対して再売買予約のを完結権を行使した旨主張しているが、かゝる主張はいずれも時機に遅れた攻撃防禦の方法であつて、これを許すときは訴訟の完結を遅延せしめること必至であり、而も右の如き主張が当審における口頭弁論終結の間際になつてはじめて為されたことについては、控訴人鍵治郎に故意又は重大な過失ありというべきであるから、民訴法一三九条により却下を求める。
(二) 仮に、控訴人鍵治郎から和田工業に対する本件土地所有名義の移転が債務支払担保のためであるとの主張が許されるとしても、控訴人鍵治郎は原審において、本件土地は同控訴人が和田工業に対する請負代金の未払金の支払に代えて代物弁済として実体上その所有権を移転したことを認めていたのであるから、右の如き主張を為すことは自白の撤回に該り、被控訴人は右撤回に異議がある。従つてこの点から右主張は許されないものである。
(三) 控訴人鍵治郎の前記二の主張事実そのものについては、同控訴人がその主張の頃和田工業に対しその主張の如き意思表示をしたとの点は不知、其他はすべて否認する。控訴人鍵治郎の前記主張は、乙第一号証を根拠とするものであるが、被控訴人は同号証の成立をあくまでも否認する。
(四) 控訴人鍵治郎の前記主張が認められる場合に備え、被控訴人は、再抗弁として、原審以来の主張に付加して更に次のとおり主張する。
(1) 仮に控訴人鍵治郎主張の如き再売買予約が為されたとしても、右予約の完結権は形成権であるから、これを債権に準じ、その権利を行使し得べき予約成立の時である昭和二六年五月四日から一〇年を経過した昭和三六年五月三日を以つて消滅時効にかゝつたものと解すべきである。従つてその後に及んで控訴人鍵治郎が和田工業に対して予約完結の意思表示をしたとしても何の効力も生じ得ない。なお、被控訴人が直接に右消滅時効を援用し得ないものとすれば、被控訴人は和田工業に代位してこれを援用する。
(2) 仮に右抗弁が容れられないとしても、前記再売買予約における「買戻が可能となつた時は」というが如き不確定期限は、予約権利者のみの全くの主観的な事情如何にかゝるものであり、予約債務者は不当に長くその予約に拘束されることになる。さればかゝる再売買予約は全体として公序良俗に反するものというべく、所有権の機能を剥奪するものとして無効である。仮に無効でないとしても、かゝる不確定期限付きの再売買予約にもとずく予約完結権については、買戻に関する民法五八〇条の規定を準用し予約の時から一〇年の経過によつて消滅するものというべきである。
と述べ、新らたな証拠として、当審証人白鳥利雄の証言及び当審における被控訴人本人尋問の結果を援用した。
理由
第一被控訴人の本訴請求について
一、被控訴人は、本件土地は昭和二六年九月四日その所有者であつた控訴人鍵治郎から和田工業に対し代物弁済によつて譲渡されたものである旨主張する。よつて按ずるに、
(一) 和田工業が、控訴人鍵治郎の注文によつてか否かは暫らく措き、野沢観光ホテルの衛生設備工事を請負つてこれを施行し、昭和二六年のはじめ頃現在において右工事注文者に対して請負報酬残金三九万一、二二七円の債権を有していたことは当事者間に争がない。
被控訴人は、「控訴人からは原審において『控訴人鍵治郎は野沢観光ホテルの衛生設備工事を野沢観光ホテル会社から請負いその工事の施行を和田工業に請負わせ、未払工事代金三九万一、二二七円の支払に代えて本件土地を同会社に提供し、右代金の決済をなした。』と主張して訴訟を進めながら後になつて『株木建設が野沢観光ホテル会社から右工事を請負い、これを和田工業に下請させ、控訴人鍵治郎は株木建設の長野出張所長として右工事施行の衝に当つたところ、株木建設が和田工業に工事代金の内金三九万一、二二七円を支払わなかつたので、控訴人鍵治郎は和田工業の要求により、右未払代金の支払に代えて本件土地を同会社に提供し、工事代金の決済をしたのである。』としてその主張を変更したが、これは自白の取消に該当するものであり、右自白の取消には異議がある。」というが、仮に控訴人による右の如き主張変更が原審において本訴について為されたとしても(記録によれば右主張変更は控訴人鍵治郎の反訴の請求原因の変更として為されたものと認められる)右主張変更は、要するに和田工業に前記工事の注文をした者従つて前記報酬残金支払の義務を負う者は、控訴人鍵治郎であるとの主張を変えて、それは株木建設であると主張するに至つたものであり、従つてそれは和田工業に対する前記報酬残金支払債務を負う者は誰かについての主張変更ないし自白撤回に過ぎず、代物弁済そのものについての自白の撤回には当らない。しかるに右債務を負うのは誰かの点は、被控訴人の前記代物弁済の主張が肯認できるか否かの判断の資料となるに過ぎない所謂間接事実であつて、かかる間接事実については当事者は仮令一旦自白をしても、これに拘束されることはなく、事実審の口頭弁論終結に至るまでいつでも該自白と異る主張をすることができるものと解するを相当とするから、控訴人らの前記主張変更ないし自白取消(撤回)は何ら妨げないものといわなければならない。
さて、当審における控訴人鍵治郎の供述により真正に成立したものと認められる乙第一七号証の記載、原審における被控訴人本人、当審証人白鳥利雄の各供述並びに弁論の全趣旨を総合すると、和田工業に野沢観光ホテル衛生設備の工事を請負わせた者即ち和田工業に対する工事注文者は控訴人鍵治郎であること、右請負契約は昭和二五年四月締結され、和田工業は同年八月末頃右ホテル本館関係の衛生設備工事(関係者間ではこれを第一期工事と呼んでいた)を竣工したこと、前示報酬残金三九万余円は右第一期工事に関するものでありその支払義務者は勿論控訴人鍵治郎であつたことが認められる。なお前示証拠によれば、同控訴人は株木建設から野沢観光ホテルの建築工事全体を請負つていたものであり、右株木建設は長野電鉄株式会社から右工事を請負つていたものであつて、要するに、右ホテルの建築工事については、株木建設を元請人とし、控訴人鍵治郎、次いで和田工業(但し右工事のうち衛生設備関係工事のみ)が順次下請の関係にあつたことが認められる。
原審及び当審における控訴人鍵治郎の供述中前段の認定に反する部分は前示証拠に照らし措信できない。右供述により真正に成立したものと認められる乙第一二ないし第一五号証の各記載によれば、控訴人鍵治郎は前記請負工事を施行するに当り株木建設から同会社の長野出張所の肩書を付与されていたことが認められるが、前示証拠によれば、右肩書の付与は、同控訴人が前記の如く下請負人として工事施行を為すための便宜を計つて執られた措置に過ぎなかつたと認められるから、これを以つて前段の認定を覆すことはできない。他に以上の認定の妨げとなるような証拠はない。
(二) 乙第一号証は、被控訴人主張の代物弁済ないし控訴人ら主張の売買予約の存否を判断するにつき重要な証拠であり而もその成立については、被控訴人において極力争つているので先ず同号証の成立の真否を検討することにする。
控訴人鍵治郎は原審及び当審におけるその本人尋問において「自分は乙第一号証の作成日付の日即ち昭和二六年五月四日の午後水戸市所在の和田工業の事務所を訪ね、重役室で被控訴人と面接して前記報酬残金支払の件で折衝し、その結果乙第一号証記載内容の如き契約が成立したので被控訴人が同号証の草稿を書き、それにもとずいて即日同号証が作成された。前記報酬残金の件で自分が和田工業の事務所を訪れたのはこの一度だけである。」旨供述し、原審証人相沢栄は「自分は昭和二六年頃和田工業の事務員であつたが、乙第一号証は和田工業の事務所において被控訴人に命ぜられるままに自分が書いたものである。」旨供述している。
而して前段の各供述が乙第一号証の成立を認定する資料となり得るためには、被控訴人が和田工業ないし「和田工業取締役社長塙栄二」と如何なる関係にあつたかが問題であるが、この点については、原審証人塙栄二、塙卯之松、相沢栄、原審及び当審における被控訴人本人の各供述及び成立に争のない乙第四号証の記載によると、昭和二六年当時における和田工業の代表取締役社長は塙栄二であつたこと、しかし同人は和田工業の経営には殆んど関与せず、謂ば名目上の代表取締役社長に過ぎなかつたこと、被控訴人は和田工業の創立者であつて、創立の当初はその代表取締役社長をしていたが(この点は争なし)、その後事情あつて代表取締役を辞任し、昭和二六年当時は形の上では和田工業の平取締役であつたが当時も同社の経営の実権は被控訴人が掌握しており名目上の代表取締役塙栄二から会社経営についての一切を任された形を執つていたこと、なお右の当時和田工業の事務所は水戸市南町四七八番地の被控訴人宅に設けられていたことがそれぞれ認められ、右認定を妨げる証拠はない。
さて、控訴人鍵治郎及び相沢証人の前示各供述に対し、被控訴人は原審及び当審におけるその本人尋問において乙第一号証の成立を否認しその作成されたとする昭和二六年五月四日の午後は旅行中で不在であつた旨供述し且つその根拠として甲第一一号証の一、二(原審に於ける被控訴人本人尋問によりその成立を認める)を援用する。そして甲第一一号証の一、二の昭和二六年五月四日の欄には、インク書きで「晴レ(以下横書)水郡線午前九時某分発東北方面出発汽車賃¥200-」、五月五日の欄には鉛筆書きで「晴(以下横書)棚倉泊り自動車代¥170-」、五月六日の欄には鉛筆書きで「晴天(以下横書)棚倉ヨリ釜ノ子廻リ白河行バス代¥125-、白河市泊リ、貸切自動車¥380-」とそれぞれ記入されている。右記載によれば被控訴人は昭和二六年五月四日の午後には水戸に居なかつたように見える。
しかしながら控訴人鍵治郎及び相沢証人の前示各供述と被控訴人の前示供述を比較すると、控訴人鍵治郎及び相沢証人の前示各供述はいずれも明確に前後矛盾なく為されているのに対し、被控訴人の前示供述は要旨は別として実際のそれには多分にあいまいなふしがあり、右供述中控訴人鍵治郎が和田工業の事務所に来た時期の点、その際の話の内容の点、同人から本件土地を代物弁済として取つてくれと云われた時期及び場所の点は、いずれも迫真力に乏しく当審における控訴人鍵治郎の供述によつて真正に成立したことの認められる乙第一七ないし第一九号証の各記載殊にその各作成年月日の記載を併せ考えると一層その感が深い。又前示甲第一一号証の一、二の中五月四日欄の記載も(イ)原審における被控訴人の第二回本人尋問の結果によれば、水戸から棚倉までは水郡線で約四時間で到着することが認められるから、仮に右日記手帳の記載内容をすべて真実とすると、被控訴人は少くとも五月四日の午後二時頃から五月六日の朝まで棚倉に滞在し、四日と五日の両晩棚倉に泊つたものと推測せざるを得ない。被控訴人の原審第一回本人尋問の結果によれば、被控訴人がその際の東北旅行において最初に為すべき用務を予定していた土地は白河であつたことが窺われるから同人が白河に赴く途中国鉄バスで一時間をも要しない近距離の棚倉に二泊もしたということになることは特別の事情の認められない限り極めて不合理といわざるを得ないに拘らず斯る事情のあつたことを認むべき証拠は一つもない、(ロ)前記日記の五月五日の欄を精査すると、この欄の最上部即ち鉛筆で横書きされた前示の「棚倉町泊り自動車代¥170-」の上部に鉛筆を以つて何か一行横書きされた文字をゴム消しで抹消した痕跡が明らかである、(ハ)前記日記手帳の記載において五月五日の欄と五月六日の欄にはいずれも何処に泊つたかが記入されているのに五月四日の欄にはこの点についての記入がない、等の事実に鑑みると右記載が五月四日当時の記載であり且つ真実に合致して為されたとの心証を得ることが出来ない。
以上の認定に鑑みれば控訴人鍵治郎と証人相沢栄の前示各供述は真実に合致しているものであり、被控訴人本人の前示供述中控訴人鍵治郎及び証人相沢栄の前示各供述と牴触する部分は到底措信することを得ず又甲第一一号証の一、二の中五月四日欄の記載は前記の如く真実に合致した記載であること乃至当時の記載であることの心証を得ることが出来ないから素より被控訴人の主張を認める資料と為し難い。
以上のとおりであるから乙第一号証は、和田工業の取締役にして、その代表取締役塙栄二から同会社経営の一切を任され、従つて代表者塙の名を以て取引することをも当然に許容されていたものと認められる被控訴人と控訴人鍵治郎との合意にもとずいて作成された真正の文書と認むべきである。
和田工業の代表取締役塙栄二は原審証人として、乙第一号証については何も知らないと供述しているが、仮に右供述が真実であるとしても、前示の如く同人が和田工業経営の一切を被控訴人に任せ、和田工業のためその名で取引することを被控訴人に許容していたと認められる以上右供述は乙第一号証の成立を否定する資料とはなり得ない。又原審証人塙卯之松は、同人は被控訴人の相談役として和田工業の経営に関与していたものであるが、乙第一号証については何も知らないと供述しているが、右供述は原審における控訴人鍵治郎及び証人相沢栄の各供述に照らし措信できない。他に乙第一号証の成立を肯認する妨げとなる資料はない。
(三) 右乙第一号証の記載によれば、控訴人鍵治郎と和田工業とは昭和二六年五月四日同号証を作成することにより、同控訴人から和田工業に対し同控訴人の支払うべき前記報酬残金三九万一、二二七円の代償として同控訴人の所有地(長野市栗田)のうち約二〇〇坪を和田工業に提供することを骨子とし、(1) 同控訴人所有地のうち約二〇〇坪をその上の担保を解除して和田工業名義に書替を為すこと。右に要する費用は同控訴人において負担すること。(2) 和田工業名義に書替になる土地は、和田工業において使用し居り、同控訴人において買戻し可能となりたる時は売戻しを為すこと。右土地は坪当り金二、〇〇〇円と定める。(3) 右土地に建設しある建物約一五坪は和田工業にて使用する場合無償にて貸与すること。(4) 同控訴人に土地の管理を依頼し、和田工業に無断にて第三者への賃貸を禁止する。所有者において必要な時は管理を即時解消する。管理料金は支払わぬものとする。同控訴人が土地を管理中これを使用する時は土地の税金は同控訴人が納付すること。(5) 土地の名義書替登記は昭和二六年五月三一日迄に完了すること。以上の如き特約を付した契約(以下これを乙第一号証の契約と略称する)を締結したことが認められる。而して(イ)乙第一号証の契約の内容が右の如きものであること。(ロ)控訴人鍵治郎が右契約を締結するに至つたのは、原審における証人斎藤文夫、被控訴人本人(第一回)、控訴人鍵治郎の各供述及び前示乙第一七、第一九、第二〇号証の各記載を総合すると、同控訴人は昭和二五年一一月頃以降和田工業から前記報酬残金の支払につき強硬な催促を受け、昭和二六年二、三月頃には遂に右支払遅延につき日歩四、五〇銭という高率の損害金の支払を約束することを余儀なくされ、従つて急いで何らかの処置を執らなければ同控訴人の債務は急速に増加する状態になつたためであり、而も乙第一号証の契約にはこの締結後にも控訴人鍵治郎の前記報酬金残債務が依然存続するものと認めさせるような特約は見当らず、事実、右契約締結後に和田工業から同控訴人に対し右債務の存続することを前提としたような所為に出た形跡は全くないことが認められるが、以上の(イ)、(ロ)の事実及び成立に争のない乙第五号証の一、二、当審における控訴人鍵治郎の供述により真正に成立したものと認められる乙第一一号証(但し同号証中郵便官署作成の部分についてはその成立に争がない)の各記載並びに弁論の全趣旨を総合すると、乙第一号証の契約の骨子にいう「代償として」とは所謂「代物弁済として」の趣旨であつて、右契約は控訴人鍵治郎の前記報酬残金債務を消滅させることを目的とした代物弁済契約であつたことが明らかである。
乙第一号証の契約に前示(1) ないし(5) の如き特約が付せられていた事実は何ら前段の認定の妨げとなるものではなく、前示(2) ないし(4) の特約の如きは寧ろ前段の認定が正しいことの裏付けともなるものである。当審における控訴人鍵次郎本人尋問の結果中には、同控訴人が乙第一号証の契約によつて和田工業に土地を提供することにしたのは前記請負報酬残金債務を担保するためであつてその所有権は依然同控訴人に在るかのような供述部分があるが、原審における同控訴人本人尋問の結果中にはかかる供述はみられず、寧ろ前段の認定に添うような供述がみられ、この事実に前段の認定の資料に供した前記(イ)、(ロ)の事実及び前顕の証拠に照らすと当審における控訴人鍵治郎本人の右供述部分は採用できない。又成立に争のない乙第一六号証の一の記載中右供述部分と同旨の部分についても右同様の理由により採用し得ない。原審証人相沢栄の証言も前段の認定を覆すには足りない。他に前段の認定を動かすに足る証拠はない。
なお、乙第一号証の契約において控訴人鍵治郎から和田工業に提供することに約束された土地は、前示の如く、同控訴人が長野市栗田に所有する土地のうちの約二〇〇坪と決められたのであり、前示(3) に所謂約一五坪の建物の在る場所が右約二〇〇坪の中に含まれるべきものとされたことは容易に推認できるが、乙第一号証における約二〇〇坪の土地の特定が前示の程度に尽きている点、乙第一号証の契約は水戸の和田工業の事務所において締結されたものである点、当時本件土地は後に述べるように後記二筆の宅地の各一部であつた点を考慮すると、右契約締結の際に右約二〇〇坪の区域についてそれ以上に具体的には決められていなかつたものと推測され、原審における控訴人鍵治郎本人尋問の結果中乙第一号証の契約締結の際に和田工業に提供すべき土地は本件土地の区域とすることに確定的に決まつたように述べている部分は採用できない。
(四) 乙第一号証の契約が成立した後における右契約の履行ないし進展の経過を見るに、成立に争のない乙第六、第八号証、第九号証の一ないし三、甲第一ないし第三号証(乙第二、第三号証はそれぞれ甲第一、第二号証と同じもの)及び当審に於ける控訴人鍵次郎の供述により真正に成立したと認める乙第一七、一八号証の各記載及び原審及び当審における被控訴人本人(原審の分としては第一回のもの)、原審及び当審における控訴人鍵治郎本人、原審証人相沢栄、蔵之内千秋、村本由太郎の各供述を総合すると、控訴人鍵治郎は昭和二六年七月頃長野の同控訴人方を訪れた被控訴人に対して、当時同控訴人の所有であつた長野市大字栗田字舎利田七四七番の五宅地四一八坪八合及び同所七五二番の一〇の宅地五二坪九合の各一部を為していた本件土地の区域二〇〇坪を指示し、これを以つて乙第一号証の契約を履行すべき旨を申出で被控訴人もそれを了承したこと、そこで控訴人鍵次郎は右二筆の宅地につき所要の分筆手続を進め、同年九月四日分筆ないしその登記を了したので右二〇〇坪の区域即ち本件土地(物件目録第一の(1) (2) )が前記二筆の宅地から法律上別個の土地として独立したこと、而して控訴人鍵治郎からの登記手続準備完了の連絡により同日和田工業の事務員相沢栄が被控訴人の命を承けて本件土地につき和田工業のための所有権取得登記手続を為すべく長野に来たので控訴人鍵治郎は相沢と共に司法書士蔵之内千秋に右登記手続を依頼したところ、相沢が和田工業代表取締役塙栄二の資格証明書、印鑑等を持参しなかつたため手続を履むことができなかつたこと、そこで相沢は控訴人鍵治郎に対し「わざわざ水戸から長野まで本件土地の登記手続のために来たのであるから和田工業の所有名義に登記する代りに便宜被控訴人の所有名義に登記してくれないか。被控訴人と和田工業との間は当方で適当に処理できるから。」と申入れ、同控訴人は被控訴人が和田工業経営の実権を握つていることを知つていたので相沢の右申入を承諾し同人と共に改めて前記司法書士に被控訴人に対して本件土地の所有権移転登記手続を為すことを依頼したこと、そこで同司法書士は前同日付の控訴人鍵治郎から被控訴人に対する本件土地の売渡証書(甲第三号証)その他登記手続所要の書類即ち乙第九号証の一ないし三(乙第九号証の三の被控訴人名義の委任状における被控訴人名下の捺印は、相沢がその時の間に合わせに前記司法書士方の近くの印判屋で買い求めた三文判である)等を適宜作成して長野地方法務局に右依頼にかかる登記申請を為し、その結果本件土地について同法務局前同日受付第五四三〇号を以つて同日売買を原因とする被控訴人名義の所有権移転登記が為されたこと(この登記の存すること自体は当事者間に争がない)、そこで相沢は控訴人鍵治郎に対し和田工業名義の前記報酬残金の領収証(乙第六号証並に予て同控訴人より和田工業に差入れてあつた乙第一七号証、同第一八号証)を交付乃至返還して水戸に帰り右の顛末を和田工業の取締役としての被控訴人に報告したが被控訴人は何らの異議を述べずにこれを了承したこと、なお控訴人鍵治郎はその後和田工業の管理人として本件土地の占有使用を続けたこと、以上の事実が認められる。当審における控訴人鍵治郎の供述中右認定に反する部分は原審における右本人及び証人相沢栄の各供述に照らし採用できない。他に右認定を動かすに足る証拠はない。
以上認定の事実によれば、乙第一号証の契約によつて代物弁済に供されるべく定められた約二〇〇坪の土地は昭和二六年九月四日に本件土地として具体的最終的に特定したものと認めるを相当とし、且つ同日為された前示の所有権移転登記については和田工業において右契約の履行に代えて受けたものとしてこれを異議なく追認したものと認むべきであるから、乙第一号証の契約による前記請負報酬残金債務に対する代物弁済の効果は同日を以つて発生したものというべく、従つて同日本件土地の所有権は控訴人鍵治郎から和田工業に移転したものと認めなければならない。
成立に争のない乙第七号証の記載及び原審における控訴人鍵治郎は前記登記を経た後被控訴人によつて本件土地の租税代納人として長野市に届出を為され、昭和二七年度ないし昭和三〇年度の本件土地の固定資産税を登記名義人たる被控訴人に代つて納付したことが認められるが、これは前示のとおり控訴人鍵治郎が前記登記を経た後も本件土地を使用していたので乙第一号証の契約における前示(4) の特約に基づくものと認められるから何ら前段の認定の妨げになるものではない。(なお二九年度分及び三十年度分については後記五の説示参照)他に前段の認定を左右すべき証拠はない。
二、被控訴人は、和田工業は被控訴人に対し金八〇万円以上の材料代金債務を負担していたが、昭和二九年一二月中に右債務の代物弁済として被控訴人に本件土地を譲渡した旨主張する。而して被控訴人は、控訴人らは原審において被控訴人の右主張を自白したに拘らず当審に至つて右主張を否認して自白を撤回したが、これには異議があるというが、記録によつて原審における本件口頭弁論の経過を精査すると控訴人らが原審において被控訴人の右代物弁済の主張を自白したものとは認められない(原判決が恰も控訴人らにおいて右の点を自白した如くに事実摘示しているのは誤りである)から控訴人らが当審で被控訴人の前記主張を否認するのは少しも差支えがない。
よつて被控訴人の前記代物弁済の主張について案ずるに、原審における証人塙栄二、塙卯之松、相沢栄、被控訴人本人の各供述によれば、右主張の事実はこれを認めるに充分である(なお右供述を総合すると、右代物弁済については和田工業における取締役会の承認はあつたものと推認される)。乙第一号証の契約に前示(2) の如き特約(この法律的性質については後述)があつたとしても、それによつて和田工業が本件土地を他に処分し得ないものでないこと勿論であり、且つ、被控訴人が既に本件土地の登記簿上所有名義人になつていたことは既に説示したとおりであるから右認定の代物弁済により本件土地は被控訴人の所有に帰したものといわなければならず、後記五に説示する如き理由により被控訴人は右所有権取得を控訴人らに対抗し得ることは勿論である。
三、次に控訴人らの抗弁について判断する。
乙第一号証の契約に前示(2) の如き特約即ち控訴人鍵治郎が提供する土地約二〇〇坪については、同控訴人において買戻しが可能となつた時は和田工業はこれを売戻す、この際の代金は坪当り金二、〇〇〇円とするとの特約があつたことは既に認定したとおりであり、これが本件土地に適用さるべきことも既に説示したところから明らかである。然しながら右特約が控訴人ら主張の如く控訴人鍵治郎において買戻しが可能となることを不確定期限とする同控訴人のための所謂売買一方の予約であつたと即断することはできない。寧ろ右特約における「控訴人鍵治郎において買戻しが可能となつた時は」というのは和田工業が売戻すについての条件とみるのが文理に合致し、且つ乙第一号証の契約成立についての前認定の経緯からみてそれが最も妥当と思われ、従つて右特約は、控訴人鍵治郎が和田工業に対し前記の約二〇〇坪の土地につき買戻しの申込を為し得ることを当然の前提とし、和田工業は同控訴人に買戻しの資力がある時は右申込を承諾すべき義務を負う、而してこれによつて売買契約が成立した場合の売買代金は坪当り金二、〇〇〇円とする、という趣旨の売買予約であつたと解するのが相当である。なお右売買予約の有効期間については乙第一号証においては決めていないが、(イ)原審における控訴人鍵治郎本人の供述及び前示乙第一九、第二〇号証の各記載を総合すると、控訴人鍵治郎は乙第一号証の契約締結の際、ごく近い将来に株木建設から野沢観光ホテル建築請負工事の報酬残金の支払を受けてこれを以つて右土地を買戻すつもりでいたものであることが認められ、この意向はその際和田工業にも伝えられたものと推認されること、(ロ)原審における被控訴人本人(第一回)の供述及び乙第一号証の契約に前示(3) 、(4) の如き特約の存する事実を総合すると、右契約締結の際和田工業としては、もし控訴人鍵治郎においてごく近いうちに買戻をしない場合は同人から提供を受ける土地上に和田工業の長野出張所を設置するつもりでいたことが認められ、この意向はその際控訴人鍵治郎に伝えられたものと推認されること、(ハ)乙第一号証の契約締結の前、和田工業は前叙の如く控訴人鍵治郎に対し前記報酬残金三九万一、二二七円の支払を強硬に催告し、高率の遅延損害金の支払まで約束させていたに拘らず前記売買予約における買戻代金は坪当り金二、〇〇〇円、従つて約二〇〇坪で約四〇万円即ち右報酬残金額と比較し僅少の差しかない金額に決められていること、以上(イ)ないし(ハ)の事実から考えると、控訴人鍵治郎と和田工業との間には乙第一号の契約締結の際、前記売買予約の有効期間につきこれをごく短期間とする旨の了解があつたものと認めざるを得ない。
ところで控訴人らは、被控訴人は昭和二六年九月四日前示の同人名義の所有権取得登記手続が為された際その代理人相沢栄により本件土地につき和田工業の有した売買予約上の権利義務を和田工業から承継したものであると主張する。しかしこの主張を認めるに足る証拠はなく、却つて前記認定のとおり被控訴人名義の登記は和田工業に対する所有権移転を前提として和田工業に対する移転登記手続の履行として便宜これを為した関係にすぎないから、右登記の際に承継のあつたことを前提とする控訴人らの抗弁はその理由がない。また前記買戻をなし得る期間は短期間とする趣旨であつたことは前段認定のとおりであるところ、成立に争のない乙第一〇号証、真正に成立したと認むべき同第一一号証の記載、原審証人相沢栄の供述並に弁論の全趣旨を綜合すれば、昭和二九年三月初頃及びそれに接する前数回に亘つて和田工業から控訴人鍵治郎に対し買戻権行使の催告のあつたこと、右催告は前示約旨の期間を過ぎた後に為されたものと認め得ること、右催告に対し同月八日頃同控訴人は書面を以て之を拒絶したため和田工業は同月一五日発其頃到達の書面を以て同控訴人に対し買戻権消滅を前提とする建物収去の請求をしているから、之によつて黙示的に買戻権消滅の通知を為したことを認め得る。従つて、以上の事実によれば控訴人鍵治郎の買戻権は被控訴人主張の如く昭和二九年三月一五日頃消滅したと謂うべく、従つて此点についての同控訴人の主張は其の余の判断を為すまでもなく理由がないといわざるを得ない。
四、別紙物件目録第二記載の(1) ないし(10)の建物が現存することは当事者間に争なく、原審検証の結果及び前示乙第八号証の図面の記載によれば、(1) (2) (3) (5) (8) (9) (10)の各建物はいずれも本件土地上に在るが、(4) (6) (7) の各建物は、そのうち別紙物件目録第一の(2) の土地の南東隅附近に在るコンクリート製門柱のうち北側のものの南東端からほぼ南東方へ八尺四寸、南側のものの北東端からほぼ北東方へ九尺五寸に該る地点をA点とし、A点から北方へ八間三尺六寸の地点をC点とし、C点からA、Cを結ぶ直線に直角に西方に走り同目録第一の(1) の土地の西側境界線の北端C′に至る直線(別紙添付図面のCC′線、以下これを本件土地の北側境界線という)よりも南側に在る部分のみが本件土地上に在り、その余の部分即ち右直線の北側の部分は本件土地外に在ることが認められる。而して(1) の建物は控訴人まさの所有であつて同控訴人が右建物敷地を占有していること、(2) ないし(10)の各建物は控訴人鍵治郎の所有であつて同控訴人は本件土地全部を占有していること、控訴人たから塗装工業有限会社は(5) ないし(9) の各建物を控訴人鍵治郎から賃借しこれを使用することにより右各建物敷地を占有していること、以上の点はいずれも当事者間に争のないところであり、控訴人らが右の如く本件土地の全部又は一部を占有するにつきその所有者たる被控訴人に対抗し得べき正権原を有することについては控訴人らの何ら主張立証しないところであるから(なお控訴人鍵治郎が本件土地の管理権を失つたことについては後示五の説示参照)控訴人らの右占有は不法のものと認めるほかはない。従つて被控訴人に対し、控訴人鍵治郎は(2) (3) (5) (8) (9) (10)の各建物及び(4) (6) (7) の各建物のうち本件土地の前示北側境界線以南の部分を収去して本件土地を明渡すべきであり、控訴人まさは(1) の建物を収去してその敷地を明渡すべきであり、控訴人たから塗装工業有限会社は(5) (8) (9) の各建物及び(6) (7) の各建物のうち本件土地の前示北側境界線以南の部分から退去してその敷地を明渡すべきである。なお控訴人鍵治郎が被控訴人に対し、(4) (6) (7) に付ては前記収去を命じた部分のみならず之を含む右各建物の全部を収去すべき旨を特に約束した事実を認むべき証拠はない。
ところで、原審検証の結果によれば、(4) 、(6) 、(7) の各建物は極めて粗末な構造の木造平家建てで相当に古い建物であること、右各建物を前示北側境界線で分けその南側部分のみを収去した場合、同線の北側部分は倒壊の危険が顕著であること、右の場合同線の北側の部分がなお独立の建物として存続し得るものとしても該部分は巾五尺前後、長さ二二間余の細長い建物となるから建物としての経済的効用は殆んど取るに足らないものとなることをそれぞれ認め得べく、又前示北側境界線以南の部分の収去乃至これよりの退去を控訴人らが任意に履行しないため被控訴人においてその強制執行(代替執行)を為す場合は収去を為す者に不必要な困難と厳格な注意とを強いる結果となるのみならず本件当事者間に再び紛争の因となることが懸念される。以上諸般の事情を考慮するときは(4) 、(6) 、(7) の各建物についての控訴人鍵治郎の前示収去義務、控訴人たから塗装工業有限会社の前示退去義務はいずれも前示北側境界線の南側部分のみに限らず右各建物の全部に及ぶものと解するのが相当である。
されば被控訴人の本訴請求中控訴人らに対し建物収去乃至退去、土地明渡を求める部分は、結局においてその全部を正当として認容すべきである。
五、次に損害金請求について案ずるに、控訴人鍵治郎が昭和三〇年一月一日以降においても本件土地を占有しており、これによつて被控訴人がその賃料相当の損害を被つたことないし被るべきことは既に判示したところから明らかである。成立に争のない乙第一〇号証の記載及び原審証人相沢栄の証言によれば、本件土地がまだ和田工業の所有であつた昭和二九年三月一五日頃和田工業から控訴人鍵治郎に対し前示の如く買戻権消滅の通知と共に本件地上建物を収去すべき旨の要求をしたことが明かであり、この要求は乙第一号証に規定する控訴人鍵治郎の管理権を消滅せしめる旨の意思表示をも黙示的に為したものと認めるを相当とする。従つて前示買戻権喪失の時以後控訴人鍵治郎は本件土地を管理占有する権原をも喪失したものと認むべきであるから、其後本件土地所有権を取得した被控訴人は同控訴人に対しその所有権を対抗し得ると共に同控訴人は被控訴人に対し賃料相当の損害を賠償すべきである。なお控訴人鍵治郎が本件土地の固定資産税として二九年度分及び三〇年度分をも代納したことは既に認定のとおりであるが、此等は同控訴人において前示認定に反してなお本件土地の管理権ありとし乃至は所有権ありとして為したことは弁論の全趣旨よりして明らかであるから、此の事実の存在は何等以上の認定を覆すに足らない。而して右損害の額は原審鑑定人中沢袈裟美の鑑定結果によれば、被控訴人主張のとおりであることが認められる。
されば控訴人鍵治郎は被控訴人に対し昭和三〇年一月一日以降昭和三四年一二月末日までに発生した損害として被控訴人主張の割合によつて計算した合計金二一万三六〇〇円(原判決がこれを金二一万五六〇〇円としたのは計算の誤りによる誤記と認める)及び昭和三五年一月一日以降本件土地明渡済に至るまでの損害として一ケ月金五、〇〇〇円の割合による金員を支払うべきであつて、被控訴人の本訴請求中損害金請求はこれを全部正当として認容すべきである。
第二控訴人鍵治郎の反訴請求について
一、控訴人鍵治郎は、当審における最終の口頭弁論期日にその反訴請求の趣旨を訂正するとして、従前の所有権移転登記手続請求(以下これを旧請求という)を所有権移転登記の抹消登記手続請求(以下これを新請求という)に改める旨申立てたが、これは実質上旧請求の取下を伴う請求の交換的変更と認むべきところ、被控訴人は右請求の趣旨訂正に異議を主張するので右取下については被控訴人の同意を欠くこととなり、旧請求の取下はその効力を生じないから請求の交換的変更は許容の余地がない。しかし控訴人鍵治郎の右請求の趣旨、訂正の申立は、交換的変更が許容されない場合には、旧請求に新請求を付加する所謂請求の追加的変更を申立てる趣旨を当然に含むものと解するを相当とするところ、旧請求も新請求も本件土地が控訴人鍵治郎の所有たることを前提とするものであつて請求の基礎は同一と認められ、且つ右請求の変更を許しても新請求につき新らたに証拠調を行う必要はなく、著しく訴訟手続を遅滞せしめる場合にも該らないと認められるから右請求の変更は当然許さるべきものである。
二、旧請求について
先ず、本訴請求についての判断において一の(一)で判断を示した、控訴人鍵治郎の主張変更ないし自白の取消には異議があるという被控訴人の主張についてであるが、既に判示のとおり、記録によれば、控訴人鍵治郎は原審において反訴につき被控訴人の云うとおり、その主張を変更したことが認められる。しかしながら控訴人鍵治郎の右主張変更は同控訴人において立証責任を負う反訴請求の原因たる事実について為されたものであつて、かかる主張変更をしたとしても自白の取消(撤回)となる余地はないから、かかる主張変更を為すことは何ら差支えがなく、被控訴人の右主張は理由のないものである。
さて、和田工業に野沢観光ホテルの衛生設備工事を請負わせたのは控訴人鍵治郎であつたこと、控訴人鍵治郎は和田工業との間に昭和二六年五月四日乙第一号証の契約即ち同控訴人の和田工業に対する請負報酬残金三九万一、二二七円の支払債務の代物弁済としてその所有にかかる約二〇〇坪の土地を和田工業に提供する旨の契約を締結し、右約二〇〇坪の土地は同年九月四日に本件土地として具体的最終的に特定し、同日本件土地につき控訴人鍵治郎から被控訴人に対し所有権移転登記が為され、右登記については和田工業において前記契約の履行に代えて受けたものとしてこれを追認したので同日を以つて代物弁済の効果が生じ本件土地の所有権は控訴人鍵治郎から和田工業に移転したこと、乙第一号証の契約には特約として控訴人鍵治郎から和田工業に提供さるべき約二〇〇坪の土地につき同控訴人においてこれを買戻し得べき一種の売買予約が付いていたものであり、この売買予約は本件土地に適用になるべきものであつたことは既に認定のとおりであり、また被控訴人が前記所有権移転登記の為された際その代理人相沢栄によつて本件土地につき和田工業が右売買予約にもとずいて有した権利義務を和田工業から承継したとの事実が認め得ないこと、而も昭和二九年三月五日頃同控訴人の買戻権の消滅したことも既に認定したとおりであるから、和田工業から被控訴人が本件土地を承継したことは其後のことに属する以上、右承継のあつたことを前提とする控訴人鍵治郎の旧請求は、これ以上の判断を為すまでもなく理由のないことが明らかであり、棄却を免れないものである。
三、新請求について
(一) 控訴人鍵治郎は昭和二六年五月四日和田工業に対する前記請負報酬残金債務の支払を担保するため本件土地の所有名義を和田工業に移転する旨約して乙第一号証を作成したと主張する。
右主張に対し被控訴人は、民訴法一三九条の適用によるその却下を申立てるものであるが、右主張は新請求の原因として為されているものであつて同法同条に所謂攻撃防禦の方法には該らないから右申立は理由がない。
更に被控訴人は、控訴人鍵治郎は原審において本件土地が前記報酬残金債務の代物弁済として和田工業に譲渡されたことを認めていたのであるから右の如き主張を為すことは自白の撤回に該り、これには異議があるというが、控訴人鍵治郎の前記主張は新請求の原因として為されているものであつてその立証責任は素より同控訴人の負担するところであり、仮令同控訴人が原審においてどのような事実を認めていたにせよ前記主張を為すことが自白の撤回となる余地はなく同控訴人が前記主張を為すことは何ら妨げのないものである。
さて、控訴人鍵治郎の前記主張についてであるが、乙第一号証による契約は既に述べた如く、同控訴人の前記報酬残金債務を消滅させるため同控訴人所有の約二〇〇坪の土地を和田工業に所有権を移転することを約した代物弁済契約と認められるのであつて、同控訴人主張の如く単に所有名義のみ移転したものとは認められない。
(二) 控訴人鍵治郎は、本件土地の所有名義を未だ和田工業に移転していないから本件土地は今なお同控訴人の所有であると主張するが、乙第一号証の契約による代物弁済の目的物件として昭和二六年九月四日具体的、最終的に特定した本件土地が同日和田工業の所有名義に登記される代りに被控訴人の所有名義に登記され、右登記については和田工業において右契約の履行に代えて受けたものとしてこれを追認したものと認められ、同日を以つて本件土地の所有権が控訴人鍵治郎から和田工業に移転したものと認め得ること既に説示のとおりであるから控訴人鍵治郎の右主張は採用できない。
(三) 控訴人鍵治郎の乙第一号証の契約に基く買戻権に基く主張も既に本訴につき認定の通りであるから理由なきこと明かである。
第三、以上のとおりであるから原判決(但し控訴人ら敗訴の部分に限る)は相当であり、本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、控訴人鍵治郎が当審で新らたに申立てた反訴請求もこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法第九五条第九三条第一項、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用し、なお原判決の主文中控訴人鍵治郎に金銭支払を命じた部分(第一項の(四))のうち第一の五に指摘した誤記を然るべく更正して主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木忠一 加藤隆司 宮崎富哉)
物件目録
第一(土地)
(1) 長野市大字栗田字舎利田七四七番ノ六
一、宅地 百八拾参坪
(2) 同所 七五弐番ノ壱壱 (控訴状には七五弐番ノ壱とあるが、これは誤記と認められる)
一、宅地 拾七坪
第二(建物)
(1) 長野市大字栗田字舎利田七四七番六
敷地
家屋番号栗田参弐九番
一、木造瓦葺平家建 居宅 壱棟
建坪 拾四坪(登記簿上)
(2) 同所
一、木造瓦葺平家建 物置 壱棟
(3) 同所
一、木造トタン葺片屋根平家建 便所 壱棟
(4) 同所
一、木造瓦葺平家建 居宅 壱棟
(5) 同所
一、木造トタン葺片屋根平家建事務所 壱棟
(6) 同所
一、木造トタン葺平家建 車庫 壱棟
(7) 同所
一、木造瓦葺平家建 居宅 壱棟
(8) 同所
一、木造トタン葺片屋根平家建 作業場 壱棟
(9) 同所
一、木造トタン葺平家建 作業場 壱棟
(10) 同所
一、木造トタン葺平家建 物量小屋 壱棟
(右建物の位置形状別紙図面のとおり)
図<省略>